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王愉 (東晋) 王 愉(おう ゆ、生年不詳 - 404年)は、中国の東晋の官僚。字は茂和。本貫は太原郡晋陽県。 == 経歴 == 王坦之の次男として生まれた。397年(隆安元年)、王恭らが王国宝を討つと、王愉は解職を申し出た。王愉は王国宝とは異母兄弟で、もともと仲が悪かったことから、連座を免れた。王国宝が死去すると、王愉は江州刺史・都督豫州四郡・輔国将軍・仮節となった。後に驃騎司馬に転じ、輔国将軍の号を加えられた。398年(隆安2年)、殷仲堪・桓玄・楊佺期らが王恭に呼応して挙兵し、長江を東へ下ってくると、江州の元愉は臨川に逃亡したが、桓玄に捕らえられた。桓玄が尋陽で盟約を行うに際して、元愉は壇所を置く役目をさせられ、このことを恥とした。解放されると、会稽国内史に任じられた。403年(元興2年)、桓玄が帝を称すると、王愉は尚書僕射となった。404年(元興3年)、劉裕らが挙兵すると、王愉は前将軍の号を加えられた。元愉は名門貴族の出身で、劉裕を軽侮しており、ひそかに司州刺史の温詳と結んで、劉裕の排除を計画した。しかし陰謀は漏れ、3月辛酉に子の王綏らとともに処刑された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王愉 (東晋)」の詳細全文を読む
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